JPC全国マスターズ優勝ほか輝かしい経歴を持つボディービルダー伊藤祐輔さんが主宰するボディビルジム。
ダイエットや美ボディラインを目指す主婦たち、健康な老後を目指す中高年など魅力的な人たちが通うほか、大会出場の選手たちも所属。
「体を鍛えることは自分と向き合うこと」と心の成長を目指す。
伊藤さんは自身が考案した棒1本で効果的な運動ができるJOSANE(ジョサネ)棒の普及や地域に明るく健康なお年寄りを増やすため年間250件もの健康教室講座の依頼に各地を飛び回って活動をしています。
代表の伊藤さんは当時100キロ近かった自身の肥満解消のために公民館を借りて友達と筋トレを始めます。
情報のない時代、農作業施設を改造するなどしてジムの原形を作り、自ら東京へ行って一流のボディービルダー達からトレーニングを学ぶ機会を得ました。教わったことは「心のあり方」
「体を鍛えることは心を育てる」本来のボディビルのあり方を広めることを決意し、全国大会でチャンピオンの座を獲得すると職場を退職。
ジムを鶴岡市に新設、ボディビルの東北・北海道選手権大会を毎年鶴岡で開催、他にない独自の評価方法で好評を博しています。
鶴岡を筋肉大國、健康大国にして明るく健康なお年寄りを増やすことを目指し活動しています。
現在はJBBF日本ボディビル・フィットネス連盟の山形県の理事長を勤めている伊藤さん、東北のボディビル界でも重鎮的存在なのですが、実は20代の頃は不摂生から体重が100キロを超える体だったそうです。これまでの伊藤さんのボディビルダーとしての輝かしい経歴や現在の活動を知っているとあまりに意外で驚きます。
田川地方農業共済組合(現NOSAI山形)の職員だった当時24歳頃、太り過ぎと体調管理を職場の先輩から心配されるほどで、息切れに高血圧。「やせるしかない」そう思った伊藤さん、スポーツも得意ではなく走るのが苦手だったので筋トレをすることに。1人ではくじけそうだったので(笑)知人を誘って朝日村の自宅近くの熊出の公民館の倉庫を借り一緒にトレーニングを始めたのが1988年のこと。
ベンチ一つ、ダンベルが二つというような最低限のもので自主トレを始めました。当時は健康や筋トレに関する情報もなくトレーニング方法は自分で試行錯誤するしかなかったのですが、大会に出て自分のレベルを試してみたくなり、やっとのことで出場方法を調べ大会へ参加。JPC全国ノービスクラスという初心者の部門で優勝を果たします。大きなジムにも通わず独学で…と驚きです。やはりセンスがあったのでしょう。
当時は「見せるための筋肉だろう」と軽んじられることもあったそうです。雑誌の背表紙に怪しい健康器具が載っていたり、プロレスラーの豪快さに憧れて筋肉をつけようとする人たちは変わり者とも思われていた時代、今のようにフィットネスという言葉も知られていなかったし、ボディビルダーに対する偏見もあり、辛い経験もしたことでしょう。
伊藤さんが当時朝日村の実家でやっていることを聞きつけて少しずつ同士が集まり、5年ぐらいして自宅近くに伊藤さんのお父さんが電柱を使って作っていた自作の農作業場をもらい受けて(ジワジワと、最後は半ば奪って 伊藤さん談)増えるトレーニング機材を置くようになりました。広さにして30坪ほど。
最初は無料で始め、庄内でも「ジム」なんてなかったので、口コミで遊佐、酒田など遠方からも15人くらい集まってきました。トレーニング機材を購入するために会費を集めるようになり、「ジム」としての最初の形ができました。
なんと、自身の肥満を解消することから筋トレ仲間が集まり、ジム経営へ発展するというのは、伊藤さんの人柄によるところが大きいのでしょう。20〜30代はやるほどに体が変わるのでトレーニングが楽しく、仲間も増えていったそうです。
コーチもいない、お金もない状態でトレーニングの方法や効果は自分の体で試すほかなく、少しでも情報が欲しかった伊藤さん、日本を代表するボディビル選手としても知られる筋肉博士、東京大学の石井直方先生に手紙を書き、仕事で東京方面へ出張に行く際に直接会いに行って教えを乞うほどの熱意でした。
「わざわざ東北の片田舎からやってくる、と良心に訴えてかわいがってもらいました(笑)」
その縁が徐々に広がりボディビルの日本チャンピオンやアジアチャンピオン、元世界チャンピオンたちと会うことができトレーニングを学ぶ機会を得ました。東京に行くたびにトレーニングする中で学んだのは、トレーニング法ではなく、ボディビルに対する『心のあり方』でした。
「本来ボディビルは体づくり。見せることが最終的な狙いではなく体の機能、働きを調えること。それは“自分を伸ばす”ことにつながります。一流のボディービルダーたちとトレーニングしてしばらく立って変なひらめきが自分の中に起きました。この考えを世の中に普及しなければならないと強く思うようになったんです」
ボディービル、と言えば、今でも鍛えた筋肉を見せる大会、というイメージがありますが、もともと英語をそのまま訳せば、体づくり。伊藤さんは「心を鍛える体づくり」を広め、地域で活動しようと決意しました。
自分が話すことを広めるためには信用されなければならない。そう思った伊藤さんはまず日本でボディービルのチャンピオンになろうと思ったそうです。仕事で何かの資格を取得するように。
努力の成果があり、2002年にはJPC東北・北海道選手権で優勝。
ジムの会員もさらに増え2005年ごろジムの建物を新築します。
そして、2006年JPC東日本マスターズ優勝、JPC全国マスターズ優勝。マスターズは40歳以上のクラス。伊藤さんはこのとき40歳を超えていました。
のんびりしててはいけない!とついに2008年に43歳で団体職員を退職、家族の反対も押し切ってジムに専念することにしました。「お金はなかったけど、信念があるので不安はなかったです。志があるところには道は開けると職場の先輩たちも応援してくれました」
ちょうどその頃に、職場の組合長との縁で、家畜診療所を借りることができ、鶴岡市赤川の土手沿いに現在のジムを新設。
地元の鉄工所に依頼してオリジナルでトレーニング器具を製作してもらい、他にはない伊藤さん独自の鶴岡産のジムが出来上がったのです。
「たくさんの人に応援してもらいました」
そうしてできたジムには「体づくりを通して自分を育てる」目標を持つ人たちがやってきてトレーニングを重ねています。
自身と向き合い屈せずに闘ってきた伊藤さんの信念と、仲間や知人たちの力とが合わさった大きなパワーを感じました。
ほんとにパワーゲートです!素晴らしい。
周囲からは「ボディビルではなく、せめてフィットネスジムと名前をつけたら?」という声もあったそうです。オイルを塗ってギラギラと筋肉を見せる、そんなイメージから偏見を持たれる、との心配からでした。
ですが伊藤さんはあえて「ボディビルジム」にこだわりました。「ボディビル」は見せるための筋肉をつけることが目的ではなく、体づくり。体の機能を上げるために自分と向き合い、心が成長するのだという信念のもとにあるジムだからです。
伊藤さんはチャンピオンとなった後は自身の肉体を披露することもしていません。トレーナーとして会員さんのサポートをしたり、講師として体と心の健全な鍛え方について講演するのに忙しい日々を送っています。
「ジムでは、トレーニング方法を教えるのではなく、トレーニングする人の感度を上げるサポートをしています。トレーナーが横についてやらせるスタイルではなく、やるのは自分、変わるのは自分です。うちのジムに通っている人はトレーニングを教えてもらいに来ていません」
もちろん初めての人には伊藤さんが器具の使い方や、目的や体に合うトレーニングをガイダンスしてくれるそうです。会員さんには月に1回無料で伊藤さんがパーソナルにみてくれる日を設けているそうです。
巻肩で姿勢が悪くて悩んでいる私にも、機能改善する動きを教えてくれました。猫背だから背中を伸ばさねばとばかり思っていましたが、肩の前側の筋肉をしっかり使うように、ちょっとした動きを気づいた時にやると胸が開いてくるそうです。
こういうちょっとした意識から、自分を変えられるんだなあ〜と思いました。
「自分の体に関心を持ちトレーニングをすることで自分のことが分かるようになります。自分とのコミュニケーションが大切です。体が自分に合った運動を教えてくれる。自分を変えるのは自分であるということを自覚し自分と向き合うことができるようになります。トレーナーはその時間を邪魔しないのが理想です」
と言う伊藤さん、「いいじゃん!いいじゃん!」とのせて、やる気になる前向きな言葉をかけているそうです。
パワーゲートさんは発足してから今年で37年。今まで約1,000名の会員さんが入会しダイエットや健康維持のために通う人から大会を目指す人、スポーツで身体の機能をあげたい人までいろいろな人が通っています。力の強いパワフルな男性ばかりが集っていると思っていたのですが、女性がその6割を占めているそうでとても意外でした。自分に対する意識を変える、というところが女性が好んで求める理由かもしれません。
「うちのジムはマシンより会員さんが自慢です。すごく魅力的な人が多い」
会員さん同士の行事で、赤川の土手沿いにある立地から桜の季節や花見イベント、夏は花火大会、秋には芋煮やバーベキューなど楽しい行事も行っているそうです。
自分に向き合い鍛えている仲間で集まる行事、みんな頼もしい人たちばかりだろうなあと思いました。
伊藤さんが、とある団体に招かれて講師として健康について話した際、会社の社長さんたちが多い団体で、体を少し動かしただけで「痛い痛い」と言う人が目立ちました。日頃ストレスを抱え、運動不足で体がガチガチ……。
一緒に少し体を動かして徐々に体がほぐれていくに連れて、みなさんの顔が明るく笑顔になったのが印象的で「午後からの仕事がんばれそうだ」と嬉しい声を頂いたそうです。
伊藤さんの健康教室は、運動の指導が主旨ではなく、明るく前向きに考える生き方に主眼があります。体を動かすことと気持ちが前向きになることは一体であるとして、前向な物事のとらえ方や考え方の話と姿勢や体を動かすことの実践と両方盛り込んでいます。話を聞いて影響を受けて健康教室からジムの会員になる人もいるそうです。
スポーツ団体や、地域団体、小さな集まりまで、講演を頼まれるのが今や年間250〜260もにのぼり、その人気ぶりからも関心が高い内容なのだとわかりますね。
伊藤さんは年に一度の大きなボディービルイベントの主宰をしています。マッスルマニア世界チャンピオン小沢尚志さんが青森で開催していた東北・北海道ボディービル大会を2005年から引き継ぎました。
伊藤さんが選手として感じていたことを審査方法に生かして、1位を決めるだけではなく、出場者も観客も全員が楽しめる大会になるよう工夫をしています。パンフレットには初めての観客も楽しく参加できるようにかけ声のかけ方や、ポーズの審査ポイントなどが載っています。観客が投票できるオーディエンス賞や観客から選手にメッセージを届けることができることも、出場者と観客が一体になり一般のお客様も楽しめるイベントになっている工夫です。
「お客さんの顔も、選手の顔も他の大会と違います。選手全員がやってよかったと充実感が得られるとうれしい声をもらってます。地元の人たちに協力してもらって楽しい大会を開催できることがとても嬉しいです」
東北・北海道各地からから出場選手、開催関係者が鶴岡に集まってくること、地元の運営スタッフ、ジムの会員さん、協賛店や企業、会場に見に来るお客さんと、イベントを通して広がる輪によって、開催地にも大きな恩恵をもたらしていると思います。
伊藤さんはこの大会を<筋肉大國・健康大国 鶴岡>の礎にしたいと願って継続をしていきます。
最近は70歳以上の方対象の健康教室も増えているそうです。高齢者の多い地域だからこそ前向きになれる講話が必要だと伊藤さんはいいます。
「高齢者がいかに元気に生活できるか。それは家族にとって大切なことです。看る家族だってもちろん健康で元気でないといけないし」
自分の使命は、鶴岡に元気で明るいお年寄りを増やすことだと言う伊藤さん。
「若い人が何かにつまづいて困った時に経験豊富なお年寄りがアドバイスしたり手伝いをしてあげられる、そんな地域になればいいと思っています。元気な年配者が若者を支える、そういう社会なら楽しいと思いませんか?健康教室を通して1人でも多くの人に自分の心と体への関心を持ち、健康に対する意識を高めることができればと思っています」
伊藤さんは棒1本で効果的に運動ができるJOSANE(ジョサネ)体操を考案、幅広い年代の人ができる日常の運動習慣の普及にも力を注いでいます。
実は、我が家にもあります。このジョサネ棒。軽くて握りやすく、これ一本で四十肩や肩こり、運動不足対策に100通りもの運動ができるという優れものです。「じょさね」とは庄内弁でじいちゃんばあちゃんたちが「たやすい、簡単だ」という意味で使う言葉。(造作ない?からきているかな)
これからこの庄内がさらに高齢者の割合が増える地域になるのなら、自分を鍛えているような元気なじいちゃんばあちゃんたちが多くて、若い人たちの悩みとかかわって、「このぐらい、じょ〜さね(簡単)!」と問題解決に乗り出してくれるような社会ならいいな!と想像しました。ジョサネ棒は<POWERGATE>の刻印とともに伊藤さんの思いがしっかり込められた健康ツールです。これからもたくさんの人を健康に、前向きに導いてくれることでしょう。
伊藤さんの「鶴岡を筋肉大國、健康大国に」する野望が大きく実ることを切に願っています。